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岸田総理は、衆議院の予算委員会で、同性婚の導入をめぐり「社会が変わってしまう課題」と答弁したことについて、改めて弁明しました。
岸田総理:「社会に関わる問題だから議論が大事だと。社会が変わってしまうから議論は大事だとを申し上げた。議論を否定する意図は全くない。変わるから議論をしましょうという趣旨」 岸田政権が掲げる“多様性を尊重する社会”という目標。
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〇人間の思考回路
ただ単になんか嫌ってだけだろう。
「なんか嫌だな」→「なんで嫌なんだろう」→「そうだ社会が変わってしまうからだ!」
表現規制派もこんな感じで、
「なんか嫌だな」→「なんで嫌なんだろう」→「そうだ性犯罪が増えてしまうからだ!」
まあよくよく考えると人間の根本ってこんな感じだよなとも思った(俺もそう)。
まず初めに「快」「不快」の感情的側面が来て、その感情が何で生まれたのかを何となく考えて決める。
〇「社会が変わる」は妥当か
重要なのは、その結論に妥当性があるかどうか。
今回の話でいえば、同性婚を認めたとして、同性愛者が増えるかどうかが争点になると思う(社会が変わるって話だと)。
ただ、カミングアウトする人は増えるはずなので、潜在的な同性愛の数は増えないが、見える形での同性愛者の数は増える。
一見、社会が変わったかのように思えるかもしれないが、実態が表出してきただけなので、実際には変わってない。
しかし恐らくそれは同性愛者を気持ち悪いと思っている人にとっては、ストレスだろう。
しかしそれは慣れてしまえば、世の中の数多くあるストレスのうちの一つってだけで、ストレス全体から見れば、そんなに大きな割合は占めないだろう。
金の問題、男女の問題、親の問題、子どもの問題などの個人的なストレスに比べればはるかに小さいと言える。
結局、社会が変わってしまうと言う結論には妥当性がないので、感情の側面に戻ってくる。
〇俺の結論
翻って、同性愛者の場合、同性婚が出来ないとなると、制度的な面で不利益を被る。
具体的に何って問われると、よくは知らないのだが、まあ控除とかあるだろう。
ここは明確なデメリット。
同性婚反対論者のちょっとしたストレスと、同性愛者の制度面での不利益は、全くつり合いが取れていない。
なので、同性婚は認めた方がいいと思う。
ただし、性に関しての疑似科学には気を付けなければならない。
「左派からの科学への攻撃」で遺伝も性別もタブーに… ダーウィンもメンデルも“キャンセル”されてしまうのか
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人間の2つの性の否認が意味するもの
──論争になっているテーマは、どのようなものでしょうか?
これらは2つの信仰に由来します。
一つに「人間というものは生まれた時にはまったく同じであり、文化によってのみ人間の差異は説明可能となる」とする考え方があります。
遺伝子の役割を過小評価する、遺伝への否定的な考えです。
もう一つは、科学と道徳の混同です。「自然なものは道徳的に善以外になり得ない」という幻想によって助長されています。こんにちでは、こうした論理が逆転することさえあります。
政治的に正しいと見えるものは、必然的に自然のなかに見出される、というわけです。たとえば、動物世界を例に挙げて、同性愛を正当化しようとします。
しかし、同性愛者が他の人々と同じ権利を持つために、ボノボを引き合いに出す必要は何もありません!
──「生物学的に言って、性は限りなく二元論に近い」とあなたは述べていますが……
ジェンダーの役割の多様性に関心が寄せられている現状、それは私にとっても好ましいことです。
どの脊椎動物にも、オスとメスしか存在しません。ときには、クマノミのようにオスからメスに性転換できる両性具有もあり得ます。しかし、いずれにせよ2種類以上の性はありません。植物でさえ、おしべとめしべからできています。
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