藤原のメモ

読んだ本や見た映像のメモとして。

[映画]セッション

セッション (映画) - Wikipedia

 

2回目だけどやっぱりいいね

ここ数年で見た映画の中で一番好き

 

〇流れ

音楽学校に通うニーマンは一人でドラムの練習をしていて教師のハゲに気に入られる

・ニーマンは彼女ができ順風満帆

・ハゲの指導が厳しくなり精神的に追い詰められる

・音楽に集中するため彼女と別れる

・親戚の集まりで食事をするがニーマンは全く認められていない

・大会に出ようとするが事故に合い、ハゲといざこざを起こして退学になる

・音楽を失ってやる気の出ない日々

・ハゲの元生徒が自殺。調査員がニーマンに事情聴取しにきた。ハゲに復讐するためハゲのやってきたことを調査員に証言する

・たまたまジャズの店の前を通り看板を見るとハゲがゲストで呼ばれていた。店の中に入りハゲに見つかり思い出話をする。ハゲは学校を辞めさせられていた。昔の激しい様子はなく穏やかなハゲ。

・帰り際、ニーマンはハゲにジャズの演奏会に誘われる。ハゲは指揮者として出る。

・元カノとよりを戻そうとジャズの演奏会の見学に誘うが彼氏がいることがわかる。

・ジャズの演奏会に集中する。

・演奏会当日。ステージに出て演奏する直前に、ハゲに告げ口したのはお前だろと言われ動揺する。ハゲが今から演奏する曲名を言うがニーマンが知らない新曲。そのまま演奏が始まり勘でドラムをたたくが全くあっていない。

・1曲目の演奏が終わった後ステージをあとにする。親父と抱き合う。

・ふっきれたニーマンはステージに戻り勝手に演奏を始める。ニーマンが合図を出し周りも合わせ演奏しだす。ハゲがごちゃごちゃ言うが無視してドラムをたたく。ハゲは観念して指揮をする。

・2曲目が終わったと思いきやニーマンはドラムをたたき続ける。ハゲがニーマンを認め始める。

・3曲目が始まった瞬間おわり。エンディングはその3曲目が流れる。

 

〇要素

・この映画を一言でいえば、音楽版のスポ根と表現できると思う。

主人公には音楽しかないと思わせる出来事やエピソードをシナリオに入れている。主人公には友達はおらず映画は親父とみる。親戚には音楽活動が全く認められていない。彼女と別れる。

・彼女と付き合い始めて別れるエピソードは二つの効果がある。一つは上で述べたこと。もう一つは付き合い始める話を入れることで序盤の順風満帆感を演出できる。ハゲに認められて、尚且つ彼女ができる。

・順風満帆感はのちの転落を効果的に描く(観客の感情を揺さぶる、操作する)ために必要。主人公の気分が上がった後に落とす。ハゲに認められ彼女ができる→音楽学校を退学。ドラムの練習もやめる。

・ハゲと和解した様に見せた後、ハゲの裏切りでまた落とす。

・父親と抱き合った後ニーマンは吹っ切れる。ここがイマイチ腑に落ちない。なぜ父親と抱き合った後に吹っ切れたのか。シナリオ的には確かにその場で吹っ切れるより、一回はけさせた後戻ってくる方が盛り上がる。父親の存在はこのために配置させていたとは思う。ニーマンをステージからはけさせた後、戻らせるきっかけが必要。そのための父親というキャラクターだが・・・。あと親というキャラクターを考えた場合二人だと多いから片親っていう設定にしたのかな。母親ではなく父親にしたのは、最後の抱き合うシーンや所々挟まる親とのシーンなどで、マザコンのイメージを付けたくなかったからか・・・。

主人公にちょっとした不幸のイメージもつけれるし(応援したくなる要素)。

吹っ切れるシーンは親と言う安心できる場所からの巣立ちっていうイメージもあるか。安全な場所から危険な場所へ。勝負を仕掛けにいったと。いろいろ書いてたらだんだん理解してきたけど・・・。

しかし切欠となった出来事(父親と抱き合う)の後の主人公の根本の感情は?ここが分からない。悔しさなのか、復讐心なのか、偉大になりたいという出世欲なのか、脚本を書いたデミアンチャゼルは何を念頭に置いていたんだろうか。ハゲとニーマンの対立を描いたストーリーだから、ハゲを見返すという気持ちが自然か。

父親と抱き合った事でハゲを見返したいと言う気持ちが沸き上がってきたと。たびたび父親をハゲに馬鹿にされてもいたしな。

・この映画が巧みなのは2回主人公を落としているところだな。

ハゲに認められ彼女ができる(↑)→音楽学校退学ドラムをやめる(↓)→ハゲと和解音楽再開(↑)→ハゲの裏切り(↓)→吹っ切れる(↑)

・ハゲと和解音楽再開(↑)。この時彼女とよりを戻させなかったのは、ハゲの裏切り→父親しかいないっていうこの流れを効果的に見せるためだろう。またあそこでよりが戻るのは不自然だしね。彼女との何のエピソードもなしにうまくいくのはね。