藤原のメモ

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経済の嘘ー教育こそ繁栄のカギだ

ケンブリッジ大学の教授で韓国人の経済学者ハジュン・チャンの本が面白かったのでまとめていこうと思う。

 

世界経済を破綻させる23の嘘

 

以下に嘘の一つを紹介。

 

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〇嘘「教育のこそ繁栄のカギだ」

・経済発展には教育を十分に受けた労働者が絶対に必要である。教育水準が高いことで有名な東アジア諸国の経済的成功と、教育水準が世界一低い水準にあるサハラ以南アフリカ諸国の経済的停滞の違いを見れば、それは明白だ。

そのうえ、知識が富の最大の源泉となっているいわゆる知識経済が台頭した現在、教育とくに高等教育が繁栄に必要不可欠になっている。

 

〇真実「教育の向上そのものが国を富ませることはない」

・教育の向上が国の繁栄に直接結びつくことを示す証拠はほとんどない。教育で得られた知識の多くは生産性向上とは無関係である。

さらに、非工業化と機械化が進んで、ほとんどの富裕国では大半の仕事で知識の必要度がむしろ落ちてさえいる。知識経済で必要とされる高等教育にしても、経済成長との単純な関係はない。

国の繁栄にとって真に重要となるのは、個人の教育レベルではなく、高い生産性を持つ企業に個人を組織して組み込んでいく国の能力である。

 

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ハジュン・チャンは嘘と真実を簡潔に述べた後、この嘘を証明する事実(データ)を述べていく。ではそれはなぜなのか。

「端的に言えば生産性向上にとって教育は私たちが思っているほど重要ではないから」と言うわけである。

確かに、歴史、音楽、国語(の漢文とか文学とか)は、経済的観点から見ると純粋に無駄で数学や理科も大半の労働者には関係がない。

 

・知識経済については?

「確かに、人類が扱う知識量は以前と比べてはるかに多くなっている。しかし、だからといって、誰もが、以前よりも高度な教育を受ける必要がある、という事にはならない。富裕国では、平均的労働者が必要とする生産性に関する知識量は、どちらかと言えば少なくなっている。

 製造業部門の生産性が高まり続けているために、富裕国の労働者の大半が今や、教育をあまり必要としない単純なサービス職に就くようになった、という現実がある。

 そのうえ、経済発展が進むにつれて、機械に組み込まれる知識の割合が高まる。と言う事はつまり、個々の労働者が自分のしていることを以前の同業者ほど理解していなくても、経済全体の生産性は高まるということだ」

 

・スイスパラドックス

ハジュン・チャンはこう述べた後、スイスを例に出し高い大学進学率と経済発展は無関係だと説明する。

「スイスは世界でももっとも工業化が進んだ数少ない最富裕国の一つだが、富裕国の中では大学進学率が最も低いのだ。1990年代前半まで、スイスの大学進学率は他の富裕国の平均の三分の一(16%)ほどしかなかった。ただ2007年には47%までになるが、スイスの大学進学率はいまなお富裕国中最低であり、フィンランド(94%)、アメリカ(82%)、デンマーク(80%)といった最高率の国々と比べるとはるかに低い。興味深いことに、韓国(96%)、ギリシャ(91%)、リトアニア(76%)、アルゼンチン(68%)といった、スイスよりはだいぶ貧しい国々と比べても、かなり低い。

 このスイスパラドックスもまた教育の生産性向上をうながす力の弱さでおおむね説明できるはずだ。」

 

ちなみに2018年度の日本の大学進学率は短大も合わせて過去最高の57.9%らしい。

univ-journal.jp

 

・大卒者に雇用者が求めるもの

「もちろん高等教育も、ある程度は生産性に関する知識を学生に与えはする。だが、個々の人々の雇用適正ランクを定めるのも高等教育の重要な役割なのだ。多くの職業で重視されるのは普通、一般的知能、規律ある態度・行動、自己管理能力で、専門知識ではない。仕事に必要な専門知識の多くは、実際に仕事をしながら身に着けられるし、そうしなければならない。

だから保険会社の経営者や運輸省の役人になるのに大学で歴史や化学を専攻したことが役に立たないとしても、大卒というだけで、自制心があり、自己管理能力もある可能性が高いと、雇う側はみなすことが出来る。つまり大卒者が雇われるとき、問題にされるのはそうした一般的な性質なのだ。」

ハジュン・チャンは書いてないけど、≪雇われる大学生は少なくとも大学を卒業できるだけの経済的余裕があり、育ちは悪くない可能性が高いと見込めるという点もあると思う≫という意見をツイッターで以前見かけた。

 

・学位インフレの弊害

「最近、高等教育が大事だという風潮が高まるにつれ、大学を増やす余裕のある多数の高所得・中の上所得国で、高等教育を求める不健全な力が強く働くようになってしまった。大学入学者の割合が、臨界点を超えるや、まともな職に就くためには大学へ行かなければならないという状況が生じる。例えば大学出が人口の70%と言う社会では、大学を出ていなければ≪自分は能力ヒエラルキーの最下位三分の一に属している≫と暗に宣言していることになり、それは就職活動にとって有利とはいえない。だから大半の人々は、仕事には絶対に必要にならないことを学んで≪時間を浪費する≫とわかっていながら、大学に行くのである」

日本の場合不況により高卒で就職できなかったから進学したってパターンもあるのかなあ。

「そして、誰もが大学へ行きたいと思えば、高等教育への需要が増大し、その需要を満たそうと大学の数が増え、入学率はさらに上がり、大学へ行かなければならないという人々の思いは一段と強まる。こうして≪学位インフレ≫が起こる。つまり、誰もが学士をもてば、他人より目立つには修士号を、いや博士号を取得しなければならなくなる、といことだ。そうした上の学位を取得しても、未来の仕事の生産性を向上させるのには最小限しか役に立たないとしても。」

「スイスが1990年代半ばまで10%~15%の大学進学率で世界最高レベルの生産性を維持できたことを考えると、大学進学率はそれよりもかなり高くする必要はないと言える」

 

・教育をする意味

ハジュン・チャンは教育する意味についてはこう語っている。

「時間の無駄と思われる科目を教えるのは、子どもたちが将来、心豊かな生活を送れるように、また善き市民になれる様に願っての事である。それが教育に投資する大変重要なー私の考えでは、最も重要な理由であることに変わりはない」